人はなぜ比較してしまうのか?その心理に迫ってみよう。
比較の種類にはどんなものがある?
多かれ少なかれ、私たちが日常生活を過ごす中で、自分の環境と他人の環境を比較したり、物事を比較したりなど、何らかの対象物と自分を比べていることって、案外多いと思いませんか?
たとえば、自分の子どもと他人の子どものどちらが優秀かを比較したり、同じ世代の人たちと自分のどちらが金銭的に豊かなのかを比べてみたりなどということがあるかもしれません。
そして、自分の方が優位に立っていると感じることで、安心感や満足感を覚えることさえあります。
心理学用語では、比較の種類を示す言葉はいくつか存在し、有名なものに、「過度の一般化」や「ラベリング」などというものがあります。
「過度の一般化」とは、自分の個人の経験や体験をすべての人がそうであるかのように思い込んでしまうことを言います。
たとえば、「みんな○○である」、「普通は○○だ」というような考え方です。
これは、比較するときにもよく使われる言葉です。
たとえ、自分の子どもが本当に学校の勉強について行けず悩んでいたとしても、母親が「みんな同じようなことで悩んでいるから大丈夫。」、「普通は、このような難しい問題は解けないものだよね」などと思い込んでしまうことがよくあります。
「みんな」とは誰と誰なのか、「普通は」とはちゃんと平均を調べたのかという冷静な判断はおかまいなしに、比較対象に入れてしまっているのです。
また、「ラベリング」とは、特定の人や物にレッテルを貼る行為のことを言います。
たとえば、「〇歳代の人の平均年収は、〇万円だ」、「30歳を超えて独身の人は問題がある」と決めつけて、主観的に周りと比較することもあります。
比較したくなるときの私たちの心理を理解する
なぜ私たちは、上記のような比較をしてしまうのでしょうか?
それは、簡単にいうと、「決めつけた方が楽だから」という心理があります。
比較対象を、自分より優位にならないように決めつけたり、自分より恵まれていない人がいると思い込むことによって、これ以上傷つくこともなければ、傷つくことからの防衛も可能になるのです。
私たちは「傷つきたくない」と思っているときこそ、精神的に余裕がなかったり、弱っていたりするものです。
自分がこの上なく幸せで、嬉しいときは、「周りと比較しよう」という気持ちよりも、その幸福な時間や出来事に目が行きます。
自分が基準になりますから、比較する必要もなくなることが多いのです。
その半面、「傷つきたくない」ときは、これ以上傷つくのが怖いため、自分よりも下の存在を作ろうと比較を始め出すといわれています。
比較をするときは、自分の心が弱っている証拠です。
比較は、一時的には安心できるかもしれませんが、繰り返すうちに、疲れが生じ、余計に精神的に疲労してしまうこともあるのです。
このように、比較は自分を守るための手段になることもありますが、比較を続けるよりも「比較し始めたときは、自分が弱っているときなんだ」と自覚し、その気持ちを受け入れた方が心がおだやかになるとされてます。
比較をするよりも、信頼できる人に話を聞いてもらったり、ストレス発散をしたりすることで心を楽にする方が、後々心がスッキリとすることが多いものですよ。